震災から8ヶ月。
ようやく県内の被災地へ、先週行ってきました。
観光ではなく、叔母の知人の安否を尋ねてです。
もう少し詳しく説明しますと、
叔母の舅さんの戦友のお宅、とのこと。
8ヶ月も経ってなぜ今訪問かというと、舅の戦友だったという男性ももうずいぶん前に亡くなっていて、最近では疎遠になっていたので、連絡するのも気兼ねはするけど、どうしても無事なのか気になっていたそうで。
その知人の家は大船渡市三陸町越喜来にあり、しかも叔母の記憶ではすぐ目の前が海だったというのです。
越喜来もずいぶん被害があったはずじゃなかったかなあと記憶していたので、もうその知人のお宅も津波で流されただろうなと考えていました。
で、先週震災後初めて大船渡へと向かったわけです。
私達は、大東町から高田市矢作へ向かう道を使って行きました。
山越えする道なんですが、高田方面からの車がやたら多かったです。
それまではわりとひっそりとした道で、どちらかといえば高田へ向かう車が多かったんですけどねえ。
今は、逆なかんじです。
矢作あたりまではまだ、前までの記憶どおりでしたが、その先の市内や住田町へ向かう橋の辺りからはもう景色が一変していました。
もう昔、どんなだったか思い出せないぐらい。
今まで見えなかった山の奥のほうの景色が見え、知らない街に来たみたいでした。
そんな中でも、わたしがすごく感動したのが、ぽつぽつとながらプレハブのお店がわりとあったこと。
マイヤ(スーパー)も開店していて、賑わっていました。
大船渡へ行くまでにわたしが心配したのは、トイレ。
トイレの心配が、これまで高田方面へ来られなかった理由の一つでもありました。
が、マイヤにはキレイな水洗トイレがちゃんとありました。
大船渡へ山越えする道の途中の、プレハブミニモールのようなところにもトイレがあるので、安心して休憩できます。
高田市の開店しているお店は、ごらんのように地元の人の生活のためのお店が中心で、観光客向けのお店はまだないようです。
コンビニやご飯屋さんがあるので、地元の人間じゃないわたし達はこちらを積極的に利用したいところ。
他にイオンも出店しているとか(見てはこれませんでした)。
高田市内の現在の写真もいくつか撮ってきました。
海岸近くにあった野球場。
ライトがあることで、かろうじてここに球場があったことがわかります。
手前が水辺になっていますが、地盤沈下のためか、未だ水が引けていないようです。
遠くに残っている建物は高田病院。
これも、海側を撮った写真。
なんの建物が残っているのかわたしにはもう思い出せない。
ここはどの辺なのか。
まだこんなにガレキが残っています。
ここは、スーパーとかがあった場所かな。
大船渡へは、ずーっと三陸自動車道を使って行きました。
帰りは大船渡市内を走ってきましたが、大船渡市は津波被害がなかったところも多いので、津波のあったところ以外はお店も普通に営業していました。
大船渡市内であれば休憩するところの心配もなさそうです。
さて、叔母の越喜来の知人ですが、海の近くに家があったにもかかわらず、人も家も無事であったとのこと。
ちょっと高台になっていたのが幸いだったようですが、それでも目の前まで津波が押し寄せて来たんでしょうから、怖かっただろうなと思います。
とにもかくにも、無事で何よりでした。
今回、ようやく近くの被災地にやって来たわけですが、案外わたしの周りでも「まだ被災地に行ったことがない」と言う人は少なくないのです。
やはり、心情的に、「行っていいものか」とか、行って見るのが怖いとかあるのだと思います。
わたしもそうでした。
近く、慣れ親しんだ街だからこそ、見たくないというか。
でも、一度来てしまったので怖さも消えました。
なるべく機会を作り(その機会ってのがなかなか・・・・なんですが)、お金を落としてくるなり、なんらかの貢献ができるように出向いてみたいと思います。